明治39 |
4月24日 |
安田伊左衛門氏、加納久宣子爵が中心となって「東京競馬会」を設立。 |
11月24日 |
東京府下荏原郡池上村(現在の東京都大田区)の池上競馬場にて、「東京競馬会」の主催による第一回の開催が行われる。日本人の主催団体による競馬の開催はこれが初めて。 |
明治40 |
3月15日 |
日本競馬会の設立が認可され、この年の秋より目黒競馬場にて開催を行う。 |
明治41 |
10月5日 |
内務省警保局長がそれまで黙許してきた馬券発売の禁止を発表し、翌日付けで各主催団体に通達。 |
明治43 |
5月3日 |
東京競馬会、京浜競馬倶楽部、日本競馬会、東京ジョッケー倶楽部が合同して、「東京競馬倶楽部」を設立。本拠地を目黒競馬場に定める。 |
大正3 |
11月7日 |
東京競馬倶楽部では禁止されている馬券にかわり、この年の秋季開催より入場者の“余興”として勝馬投票(実質的には景品券)を開始。大人気を集める。 |
大正12 |
4月1日 |
競馬法が公布(施行は7月1日付け)され、馬券の発売が認可される。 |
9月1日 |
関東大震災が発生。目黒競馬場も甚大な被害を受ける。 |
12月15日 |
被災地の士気を鼓舞し、興業物の奨励を図る目的で、いったんは中止と決まった目黒競馬場の秋季開催を1か月遅れで実施。 |
大正14 |
6月17日 |
安田伊左衛門氏、楠本正敏男爵とともに神戸から豪州視察に出帆。 |
11月22日 |
東京競馬倶楽部初の特別競走、「各内国産馬、抽せん豪州産馬混合競走」を施行(昭和7年に目黒記念と改称され、現在に至る)。 |
昭和1 |
11月2日 |
この秋季開催より豪州式発馬機の使用を開始。好評を博す。 |
昭和2 |
4月 |
目黒競馬場の移転問題に取り組む移転準備委員会を正式に発足。翌昭和3年12月に東京府下北多摩郡府中町を移転先に内定。 |
昭和5 |
4月24日 |
東京競馬倶楽部、「東京優駿大競走編成趣意書」を発表。 |
昭和7 |
3月31日 |
東京競馬倶楽部、「東京優駿大競走編成趣意書」を発表。 |
4月24日 |
目黒競馬場で第1回の「東京優駿大競走」(日本ダービー)が施行され、ワカタカが優勝。 |
昭和8 |
11月8日 |
東京競馬場の建設工事が完成。各界の名士を招いて竣工式典が行われた。 |
11月18日 |
新競馬場での開催がスタート。 |
昭和9 |
4月22日 |
東京競馬場に移転後、初めてのダービーが施行され、フレーモアが優勝。 |
昭和11 |
12月1日 |
改正競馬法(この年の9月に施行)を受けて日本競馬会が設立される。東京競馬倶楽部をはじめ、全国11の競馬倶楽部はこの日より1年以内に解散し、その権利義務の一切を日本競馬会に引き継ぐこととなった。 |
昭和12 |
6月3日 |
東京競馬倶楽部解散。 |
昭和18 |
12月17日 |
戦局の激化を受けて東条英機内閣が「競馬開催の一時停止」を閣議決定。東京競馬場では翌年の4月から6月にかけて、18日間、180回の「能力検定競走」が行われた。 |
昭和19 |
12月16日 |
戦局の激化を受けて東京競馬場の敷地と建物は陸軍に転用されることとなり、同日付けで土地、建物の引渡しが行われた。 |
昭和21 |
10月16日 |
馬主の親睦団体である「関東競馬振興会(翌年、東日本競馬振興会と改称)」が設立。 |
10月17日 |
終戦後、初めての開催が東京競馬場で行われる。 |
昭和22 |
10月17日 |
春は「平和賞」という名称で行われた帝室御章典競走が「天皇賞」と改称されて施行。改称後初の優勝馬はトヨウメ。 |
昭和23 |
7月19日 |
新競馬法施行。これにより日本競馬会は解散し、国営競馬時代が幕を開ける。 |
昭和24 |
6月5日 |
この日行われた第16回日本ダービーで、優勝したタチカゼが単勝式配当5万5430円という大穴を記録。 |
12月13日 |
東日本競馬振興会から改組される形で、社団法人東京競馬場馬主協会が設立される(=本会の誕生)。初代会長には栗林友二氏が就任。 |
昭和25 |
7月13日 |
本会の名称を「東京競馬場馬主協会」から「東京馬主協会」に変更。 |
昭和27 |
10月 |
本会の役員会にて米国産サラブレッド50頭の輸入を決定。 |
昭和29 |
2月 |
本会の第2代会長に永田雅一氏が就任。 |
9月16日 |
国にかわる新たな競馬の主催団体として「日本中央競馬会」が設立。初代理事長に安田伊左衛門氏が就任。 |
昭和31 |
3月 |
本会の第3代会長に鈴江繁一氏が就任。 |
6月3日 |
第23回日本ダービー(優勝馬ハクチカラ)で落馬事故が発生。レース後、事故調査委員会が組織され、本会でも事故防止対策について協議。これを契機にパトロールタワーの新設など様々な安全対策が講じられ、また、馬主相互会が設立(昭和33年)されることになる。 |
昭和32 |
11月14日 |
東京競馬場1号館スタンド(万歳館)の改築工事が竣工。 |
昭和33 |
5月18日 |
「競馬の父」と呼ばれた安田伊左衛門氏逝去。 |
昭和35 |
5月23日 |
第1回アジア競馬会議開催。第25回日本ダービー当日(5月29日)の東京競馬場で閉会式が行われた。 |
9月3日 |
日本で初めて、東京競馬場に導入されることになった「ダートコース」の設置工事が竣工(使用開始は翌年から)。 |
昭和36 |
12月25日 |
市道で隔てられていた東京競馬場の本厩舎と東厩舎の間に地下道を新設。これにより競走馬が一般道を通る必要がなくなり、安全度が増した。 |
昭和37 |
11月2日 |
本会の鈴江繁一会長が逝去。これを受けて12月に川端佳夫氏が第4代会長に就任。 |
昭和41 |
3月31日 |
本会の第5代会長に田中角栄氏が就任。同年12月に政務多忙のため辞任した同氏にかわり、第6代会長に藤田正明氏が就任。 |
昭和43 |
6月4日 |
東京競馬場新スタンドおよび京王線府中競馬正門前駅からスタンドへの屋根付き歩道橋新設工事が竣工。 |
昭和44 |
3月16日 |
第8回アジア競馬会議を記念して、東京競馬場でアジア競馬会議加盟国騎手招待競走を施行。 |
11月15日 |
東京競馬場で英国騎手招待競走を施行(~11.16)。 |
昭和45 |
6月 |
本会会務の運営について広報、親睦、賞品、福祉、総務の5委員会に分け業務の充実と円滑な活動をはかることとなり、その一環としてタブロイド版4頁の会報を創刊。 |
昭和46 |
5月1日 |
東京競馬場1号館(万歳館)跡地にスタンドを新築。昭和43年に完成したスタンドと連結し、平成17年2月まで供用のメインスタンドとなる。 |
昭和48 |
10月21日 |
東京競馬場で第1回地方競馬招待競走を施行。 |
昭和50 |
5月2日 |
本会の第7代会長に手塚栄一氏が就任。 |
昭和53 |
4月6日 |
美浦トレーニング・センターへの競走馬、厩舎関係者の移転を完了。 |
9月 |
創立30周年を迎えた本会の記念事業として「東京馬主協会30年史」を刊行。 |
昭和56 |
11月22日 |
わが国初の国際競走として創設された「第1回ジャパンカップ」を施行(優勝馬メアジードーツ)。 |
昭和57 |
5月 |
東京競馬場スタンド4階に本会会員用の「シルバールーム」を新設。 |
昭和58 |
4月 |
本会の第8代会長に小紫芳夫氏が就任。 |
5月29日 |
イギリスのエプソム競馬場と東京競馬場が姉妹競馬場提携を結ぶ。 |
昭和59 |
1月28日 |
東京競馬場東入場門を新設。 |
5月13日 |
グレード制の導入にともない、GⅠに格付けされた「安田記念」を施行(優勝馬ハッピープログレス)。 |
9月8日 |
日本初の大型映像ディスプレイ装置(後に公募により「ターフビジョン」と名付けられた)が東京競馬場に設置。 |
10月28日 |
距離路線別のレース体系の整備にともない、従来の3200mから2000mに変更された天皇賞・秋を施行し、前年の三冠馬ミスターシービーが優勝。 |
昭和61 |
10月11日 |
英国エジンバラ公フィリップ殿下と皇太子同妃両殿下が東京競馬場にご来場。 |
昭和62 |
5月2日 |
東京競馬場西門と府中本町駅を結ぶ歩道橋の新設工事が竣工。 |
11月1日 |
皇太子同妃両殿下が東京競馬場にご来場され、天皇賞・秋をご観覧。 |
昭和63 |
11月26日 |
東京競馬場ダービースクエア前にターフビジョンを増設。 |
平成元 |
3月27日 |
創立40周年を迎えた本会の記念事業として創立40周年記念式典及び祝宴を開催。「東京馬主会40年のあゆみ」を刊行。 |
10月29日 |
常陸宮殿下同妃殿下が東京競馬場にご来場され、天皇賞・秋をご観覧。 |
平成2 |
5月27日 |
第57回日本ダービー(優勝馬アイネスフウジン)の当日、東京競馬場では196,517名の入場レコードを記録。 |
平成3 |
10月26日 |
東京競馬場内にJRA競馬博物館がオープン。 |
平成5 |
5月3日 |
第60回日本ダービー(優勝馬ウイニングチケット)を「皇太子殿下御成婚奉祝東京優駿競走」として施行。 |
8月16日 |
本会の第9代会長に保手濱忠弘氏が就任。 |
9月9日 |
東京競馬場新スタンド(メモリアル60=現在のメモリアルスタンド)の新設工事が竣工。 |
平成6 |
12月 |
タブロイド判だった東京馬主協会会報を大幅にリニューアル、小冊子「OWNER」 |
平成8 |
5月12日 |
「第1回NHKマイルカップ」を施行(優勝馬タイキフォーチュン)。 |
平成9 |
2月16日 |
この年よりGⅠに昇格した「フェブラリーステークス」を施行(優勝馬シンコウウインディ)。 |
平成10 |
3月16日 |
創立50周年を迎えた本会の記念式典、祝賀会を開催。「東京馬主協会50年史」を刊行。 |
平成12 |
3月3日 |
本会の第10代会長に松本兼吉氏が就任。 |
7月1日 |
東京競馬場メインスタンド改築の第1期工事に着工。 |
11月25日 |
「第1回ジャパンカップダート」を施行(優勝馬ウイングアロー) |
平成14 |
5月26日 |
第69回日本ダービー(優勝馬タニノギムレット)に小泉純一郎内閣総理大臣がご来場。 |
6月9日 |
第4回東京開催が終了し、ゴール線の移動と直線距離の延長、芝2000mシュート部の改善等を柱とした馬場改修工事に着工。 |
11月2日 |
東京競馬場新スタンド第1期工事部分が竣工し、パークウインズとしてオープン。 |
平成15 |
4月26日 |
東京競馬場馬場改修工事・新スタンド第1期工事竣工後、初の開催を施行。 |
平成16 |
11月28日 |
創設50周年を迎えた日本中央競馬会の「ゴールデンジュビリーデー」として、第24回ジャパンカップ(優勝馬ゼンノロブロイ)、第5回ジャパンカップダート(優勝馬タイムパラドックス)のGⅠ2競走を東京競馬場で同日に施行。 |
平成17 |
4月9日 |
東京競馬場新スタンド第2期工事部分が竣工。 |
10月3日 |
天皇皇后両陛下に行幸啓を賜る。競馬博物館特別展「エンペラーズカップ100年記念栄光の天皇賞展」と古式馬術「母衣引」などを見学された後、「エンペラーズカップ100年記念第132回天皇賞・秋」(優勝馬ヘヴンリーロマンス)をご観覧になられた。 |
平成18 |
3月22日 |
本会の第11代会長に北野俊雄氏が就任。 |
5月14日 |
「第1回ヴィクトリアマイル」を施行(優勝馬ダンスインザムード)。 |
10月28日 |
第134回天皇賞・秋(優勝馬ダイワメジャー)を「悠仁親王殿下御誕生慶祝第134回天皇賞(秋)」として施行。 |
平成19 |
4月21日 |
東京競馬場新スタンドの建設工事が全面竣工し、『フジビュースタンド』がグランドオープン。これを記念して翌22日には「第1回ジョッキーマスターズ競走」が施行された。 |
5月27日 |
皇太子殿下の行啓を賜る。競馬博物館特別展「東京優駿(日本ダービー)と東京競馬場展」及び日本ダービーをご観覧。同日に安倍晋三内閣総理大臣も東京競馬場にご来場。 |
平成20 |
2月4日 |
創立60周年記念式典開催。「東京馬主協会60年史」を刊行。 |
3月5日 |
本会の第12代会長に国本哲秀氏が就任。 |
11月9日 |
アジア競馬会議がわが国で23年ぶりに開催され、その公式行事としてこの日、東京競馬場での競馬観戦を実施。同日には「第2回ジョッキーマスターズ競走」も施行された。 |
平成21 |
5月31日 |
第76回日本ダービー(優勝馬ロジユニヴァース)に麻生太郎内閣総理大臣がご来場。 |
11月8日 |
全国ポニー選手権の決勝レース、「第1回ジョッキーベイビーズ」を東京競馬場で実施。 |
平成22 |
5月23日 |
第71回オークス(優勝馬アパパネ、サンテミリオン)でJRAのGⅠ史上初の1着同着。 |
11月27日 |
ジャパンCの創設30周年を記念し、「ワールドスーパージョッキーズシリーズ」を初めて東京競馬場で開催。 |
平成23 |
3月11日 |
東日本大震災が発生。 |
4月23日 |
東日本大震災の発生後、中止となっていた東日本地区での競馬開催をこの日の東京、新潟競馬より再開。翌24日には第71回皐月賞(優勝馬オルフェーヴル)を23年ぶりに東京競馬場で施行。 |
10月1日 |
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手競馬の復興を支援するため、同競馬の看板レース「マイルチャンピオンシップ南部杯」を東京競馬場で開催(優勝馬トランセンド)。 |
平成24 |
1月4日 |
一般社団法人東京馬主協会に移行完了 |
3月7日 |
本会の第13代会長に森保彦氏が就任。 |
9月26日 |
森保彦会長が、日本馬主連合会会長として、JRA運営審議委員に任命される。 |
10月28日 |
天皇皇后両陛下に行幸啓を賜る。近代競馬150周年記念として開催された東日本伝統馬事芸能及び、第146回天皇賞・秋(優勝馬エイシンフラッシュ)をご観覧された。 |
平成26 |
6月1日 |
皇太子殿下の行啓を賜る。競馬博物館で開催された特別展及び日本ダービーを御観覧。 |